人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブリューゲル・BABEL セリフを覚えること、歌のレッスン

ブリューゲル・BABEL セリフを覚えること、歌のレッスン_c0180209_01503978.jpg

先日、国立国際美術館に、ブリューゲルの
BABELを見に行きました。

絵画を見に行くのは、苦手な方です。
理由は、
ずっと立ちっぱなしで、荷物片手に、
人の多い場所にいることが、苦手だからです。

だいたいが、肩が痛くなったり、具合が悪くなったりして、絵に集中できません。

ですが、平日で、荷物を預けられるロッカーが館内にあったこともあり、
無事に最後まで集中して彫刻や、絵画に
食いつくことができました☆☆

被写体になるものの流れでいうと、
はじめは、宗教画や聖人の彫刻から始まり、
それが、風景、農村や民衆へと視線が向いていったことが、
展示品から伺えました。

以前、出演した舞台で、
ヘンリック・イプセン原作の「幽霊」
という作品がありましたが、
その時代背景・・
というか、

民衆や、聖職者や、役人たちの、
悪徳や、生活の悪徳などを、

包み隠さず描いた作品であったために、
当時、上演許可が降りなかったという
戯曲なのですが、

ブリューゲルの描く、
人間でもない、動物でもない、悪魔でも、
天使でもない、
謎の生き物が、

そういった悪徳などの具現化であるように、
感じました。
結構この、鳥人間や、樹木人間や、魚人間の
絵が続いたもので、

なんだかふわーんとした感覚に陥りましたが、

最後に、BABELの絵がきて、
ブワッと戻ってきた気がします。

ブリューゲルのBABEL以前にも、
バベルの塔を描いた作品はありますが、
これほど、
巨大で緻密に描かれたものはないそうです。

かなりの迫力で迫ってきました。
また、実際にはないものを
想像し、創作した絵が、これほどの現実感をもって迫って来るところあたり、

時代背景を超えた、メッセージが
ズバーンと心を撃ち抜くのでした。

これはスカイツリーだ!と笑

なんの救いもない環境で生きている人にとっての、
宗教は、唯一の救いであると思うですが、
その宗教が与えてくれた、規則や戒律などからすると、
凡庸な悪の私たちの姿が露わになるわけです。
だから、罪悪感というものがある。
しかし、宗教がない国の私たちには、
すでに罪悪感すらない、というのは
とっても危険なことで、
ドイツのナチスを支持していた、兵士や民衆も、
人間としてはとても善良であったことなどを考えると、

今生きている、私たち日本という国の、
煙たい感覚の側面が、もう本当に気持ち悪いという、
ことです。

その側面ではない方に意識をむけて、進まなければ
飲まれてしまいそう。

希望がないという人が増えているのではないでしょうか?

私にも、希望のない感覚が、
なんとなくわかるのです。


BABELに話を戻すと、
想像したよりも、小さな絵ですが、
その中に1300人くらいの人間が描かれているそうです。


さて、最近は、
9月・10月に虚空旅団さんの、
「Voice Training」という作品のお稽古に取り組んでいます☆

実はセリフが膨大ですので、毎日、呪文として、
セリフを唱える毎日です☆

子供達のレッスンをするようになってから、
セリフを覚えることに関して、とても早くなりました。
個人差はありますが、子供達の中には、反射的にセリフを覚える子がいます。
それはもう、一回言ったら覚えています。

レッスンでは、時間内に覚えて、シーンを作る練習をするので、
とても短い、5、6行のやりとりを
遊び感覚で覚えて稽古をすることをします。

それを一緒にするわけですから、
私のセリフ覚えもどんどん良くなっているようです。


それから、歌のレッスンです。
火曜日に実は、秘密ライブをしました。
2曲しか歌わないつもりが、
結構歌うことになり、
その場で曲を決めて楽器の方や
アーティストの方と、自由にセッションをさせていただきました。
こういうことをするのは、あまりないので、
とても楽しかったし、
レッスンを積んできたなかで、
アドリブが結構できるようになっていたことと、
声の幅が出てきたことがわかって、

自分だけの話ですが、とても嬉しいです。

コードも、鍵盤で弾けるようになってきた。



声の深さを作るためには、
背中や、息の吸い方、顔の筋肉、あごの使い方、
立ち方、首の角度、

そして、歌声は、
細かい、セント(音階の中の細かい段階)、
声の当て方、
音階によって変わる喉や息の使い方の変化、
などが、

必要なことが、理解できるようになってきました。


一年前に出演したBERONICAのライブの、
自分の歌声を聴いた時に、
確実に下手くそで、喉声だという感覚になったので、
とても良かったです☆

少しでも、私はできるんだから、
なんて思っていたら、
それは、できていないってことだということを、
知っていないと、

アーティストとしては、
失格だ。

でもそれは、ある意味苦しいことでもあるから、

真摯でありつつ、
遊びを忘れずにいられるように、
なることにしよう。


しばらく書かないと、
書くことが沢山になりすぎますね。



by mihodontan | 2017-08-25 01:16 | アート | Comments(0)