4月のボリューム

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地元にお菓子の名店がありまして、
猿渡家のお祝いまとめて会には、
このケーキをいただきました。


毎日結構大変なぼりゅーむです☆
それでも、おうちでゆっくりする時間を・・・というか、ゆっくりしようとしていつの間にか、
ばったり眠っているんですが、
安心して眠ることができる、おうちや家族がありがたい毎日です(●^o^●)

宮沢賢治の春と修羅をさらさら読んでみたりしました。
どうして、自分を修羅と言って生きたのかな。
魂が美しく、この世の中に生きることが大変な人が、
それでも、この世の中で、生きていこうとした時に、
修羅として、修羅のようになって、必死に生きたのではないかと、
思います。


マザーテレサのことを調べたりしています。

「I THIRST」
という言葉が、突き刺さるようでした。


私には自分が渇いているという自覚がありません。
なぜなら、恵まれているからです。
世界の中でも、裕福な方だからです。

でも世界は渇いていて、人々は渇いているのだなと、感じます。
人の気にあたりすぎると、その渇きを沢山感じることがあって、体感として、
とても重たくなったり、心臓のところが痛くなったりするからです。


私は宗教の枠の外にいるうえで、いろんなものを感じていたいのですが、
そのうえで、イエス様が好きです。

サラとソロモンの、ソロモンも死んでしまったとこを読んだときに、いやすぎて、
号泣して、若干ふらふらになったのですが、

一人の人間として、イエス様が死ぬのも、本当にいやだから、十字架も嫌い。
そして、心を失った宗教も嫌い。
宗教なんてなくなれと思っていたけど、

それはちがうと、日本の神様にたしなめられ、
宗教という窓口があって、救われる人がいるならば・・・という心に気づいて、
そうか、と思いました。

気持ちの高揚から、思い違うことを、望まない。


この世の中の、いろんなことが、嫌だったり、つらかったり、理解できなかったり
することも、すべて、あるべくしてあり、必要だからだとしてバランスを保ってみよう。

そう思います。


私は、裕福であり、
やりたいことをすることができる幸せがあって、
そして、どこかの国の人々が、食べるものもなく、病気になって死んでいくなら、
それは、私の苦しみをその誰かが、引き受けてくれているにちがいない。
この服は、この食べ物は、このほんや、テレビや、家具や、食器も全部そうだ、
そうやって、世界のいろんな人につながっていって、
物を持ちすぎる人の代わりに、物のない人たちがいるんだ。
誰かが、飢えと苦しみを引き受けてくれて、地球の全体のバランスが保たれている。

生きていること。生きていて手段のあるものは、
それを選んで、活かすこと。

それで、バランスを保つことを、今練習してるのかな。と思います。


イエス様は、人々が、
ご自分が十字架にかかったことを悲しむよりも、
そのあとに復活をしたことに焦点を当ててほしいそうです。

「I THIRST」の悲しみではなくて、「I THIRST」からの可能性に焦点を当ててほしい。

マザー・テレサは、まさに、「I THIRST」という問題の答えを歩んだ方だったのだなと、
思いました☆
尊く生きるよりも、そばにある貧困を。
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by mihodontan | 2014-04-12 21:20 | 日常 | Comments(0)